東日本大震災の復興の課題はまだ続いてます。

あれから約8年なんだな。

こんにちわ。Moteです。

今日は、

一般の人は行けない場所に行って来た話です。

10月末。

出張で福島第一原発に行ってきました。

 

そう、

現在、

廃炉に向けて燃料棒の取り出しなどを

行っているあの場所に。

 

理由は、唐突に決まりました。

燃料棒の取り出しに関する仕事のため

一度は現場を見ておく方が良い。

とのこと。

 

午後から横浜の会社を出て

特急で北上します。

 

途中、

かつて住んでいて東日本大震災を経験した

日立市大みかにも停車しました。

 

懐かしいと思ったのですが、

既に日も暮れて何も見えませんでした。

 

品川を立ってから約2時間半。

宿泊先の「いわき」に到着。

そのままホテルに向かって一泊。

 

首里城が・・・

 

翌日の朝、テレビをつけたら

何と沖縄の首里城が燃えている映像が・・・。

最初、何か映画の宣伝?

と思ったのですが、本当に燃えている・・・。

現実なんだ。

 

そういえば行ったのは2年前だったな。

と思いながら、

沖縄出身で神奈川に住んでいる友人にメール。

 

まあ、

それはさておき原発に向かって移動を開始。

 

富岡駅まで常磐線で移動して

そこからは迎えの車で移動。

 

原発までの道路から見る光景に驚き

 

そこは、廃墟、廃墟、また廃墟。

既に町としては機能していないと、

何度か訪れている同伴者が言っていました。

放っておくと家屋は草木に覆われる。

アスファルトの下から雑草が生えてくる。

屋根や壁が朽ち果てる。

元水田と思われる土地。

 

そんな光景が何キロにも渡って続く。

 

「見捨てられた街」

 

こんな言葉が浮かんできた。

あらためて、何故こうなったのか?

見捨てなければならなかった、

当時の住民の方の無念さを想像してみました。

 

例え、

「戻っても大丈夫と。」

となったとしても、

避難先での暮らしが根付いている場合、

簡単には戻れないでしょう。

 

戻ったとしても、

朽ち果てた家屋の修繕をしなければなりません。

 

また、自分だけ戻っても

近所とのコミュニティが築けなければ

生活し難いでしょう。

 

それこそ

「ぽつんと一軒家」

になってしまいます。

 

撤去作業が行われているわけでもなく、

これから数年、十数年は

このままなのかもしれない。

と思いました。

 

そんな思いを抱きながら、

福島第一原発に到着。

 

福島第一原発に入所

 

こういう場所は色々と制限があります。

スマホ、携帯などの持ち込みは不可。

建屋外のプレハブに置いていかなければなりません。

入所するには運転免許証など

身分を証明するものが必要で、

右手中指の静脈を登録させられます。

 

また、

入所の前後で線量を計測して

被爆の有無も確認します。

 

今は普通の服装(と言っても作業服は必須)で

行動できますが、当時は防護服着用だったので

相当大変だったろうというのが想像できます。

 

がれき撤去のリモート操作室に案内され

そこでモニタ越しで作業を見学。

 

その操縦用の席が、

ガンダムのコクピットを想像させます。

今から100年もしたら本当に出来るのでは?

と夢を感じることが出来ました。

 

操作室を出て、構内バスに乗り、

1号機~4号機のある場所の近くまで行く事に。

 

その眺めは、

当時の水蒸気爆発を思い起させるものでした。

そして今更ながら

「本当に存在するんだな」

と感じました。

テレビでしかた観た事がない。

しかも映画のラストシーン、

例えば

悪の組織のアジト爆発のような場面。

 

どこかでフィクションでは?

と思っているところもあったのですが、

実在しました。

 

ここに来るまでの道路で見た廃墟と合わせて、

現実をみました。

 

この作業が終わるのは、一体何年後だっけ?

途方もない時間とお金をかけ、

世代を跨いで行うことになるでしょう。

 

せめて、この作業のノウハウが

是非、今後の原発(海外も含め)に 役立てて貰いたい。

 

もしかしてそんな役割を日本は、

背負わされたのかもしれない。

そんな気持ちも持ちました。

 

見学も終わり帰る時間になりました。

同じ会社の社員の運転する車に乗り、

広野駅へ向かいました。

 

再び、廃墟が並ぶ道路を通るのですが、

途中から景色が一変します。

 

津波で流された後、

新しく建てられた建物や家屋が並ぶ。

道路も物凄く整備されて綺麗です。

 

明暗が分かれていることを実感します。

 

広野駅に到着して、横浜までの乗車券と特急券を

購入しようとしたのですが、

 

「券売機が無い。????」

理由は、窓口でした買えない。

しかも「只今、休憩中」となり閉まってます。

 

俺の田舎でも券売機はあるぞ・・・

と思いながら待つこと数分。

 

窓口で特急券を買おうと思い、

特急名を言うと、紙にメモを取り電話をしだします。

 

どうやら大きな駅に電話をして駅員が予約する。

その内容を手書きの特急券に記入します。

「超アナログ」

です。

手書きの特急券なんて見たの、子供の時以来じゃないか・・・。

そんな細やかな感動を持ちながらホームに歩いていきました。

 

特急の終点、品川までは約2時間半。

もちろんビールを飲みながら、時々昼寝をしての帰路でした。

締めの一言

広野駅に向かう車中でのラジオで、

台風で被災した方の市営住宅への

案内と抽選のニュースをやっていました。

 

そういえば、台風の被害もあったんだよな。

この辺りは。

橋脚に、ゴミが引っ掛かったままの橋も見ました。

 

自然の驚異と生活基盤を失うことの怖さを

あらためて感じました。

 

今回の台風では、私は運が良かったんだ。

そして、あの時の地震や津波でも。

そんな気持ちを強く感じました。

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