東日本大震災の記憶 第4話 in 日立市大みか

数日後

こんにちは、Motegiです。

東日本大震災の記憶の第4話です。

そして今日は令和2年の3月11日です。

テレビなど報道では、

震災の話が出るやと思ったのですが、

新型コロナウィルスでした。

まあ、現在進行形ですから

仕方がありません。

ちなみに昨日の3月10は

東京大空襲の日。

知らない人の方が・・・。

震災の時の話に戻します。

 

何日目かは憶えていませんが、

携帯電話が通じるようになりました。

会社の上長からは、

あと1週間ほど休みにするという。

嬉しいような・・・そうじゃないような。

指示がありました。

 

こういった時、

困ることの一つがトイレです。

海がすぐそこなので、

小さい方は海に向かって

することもできます。

 

しかし問題は大きい方、

私はバスタブに水を溜めていたため

流すことが出来ました。

 

一方、

後日出社したら

川まで毎日水汲みに行った。

という人がいました。

その方、

水を溜めなかったらしいです。

 

また、

数日風呂に入らないと、

頭や体が痒くなってきます。

 

溜めた水を節約しながら、

寒さに耐えながら、

体は拭くだけで頭を洗いました。

シャンプーを流す時を気合をいれて、

頭から冷水を浴びます。

「くぅーっ!」

とその度に声がでます。

でも耐えたかいがあって、

さっぱりします。

 

加えて、

買っておいた飲料水も

少なくなってきました。

 

このことをスーパーの若店主に言うと、

近くに井戸があるとのこと。

しかも飲料水としてOKとのこと。

 

早速、店から台車を借りて

水を確保しに行きました。

 

これでしばらく

水の不安は無くなったと思って安心したら、

翌日にガスと水道が復旧し、

井戸から持ってきた水は

殆どを捨てることになりました。

 

ただ、

余震でまた水道がダメになっても

大丈夫という安心感を得ました。

 

これも後日、出社したときの話ですが、

太陽光発電を導入している家では、

テレビも観ていたし照明もOK。

 

水道が復旧するまでは

貯水タンクの水を使っていたし、

ガスはプロパン。

だから、

そんなに困らなかったらしいです。

 

インフラ的には大丈夫でも、

問題になるのは食料の確保。

いつ、この地域に物資が届くのか?

全く分かりません。

若店主に聞いても不明とのこと。

残り少ない食料を

更に節約することにしました。

 

何日後かに食料が届きました。

店は再び人に溢れました。

 

しかし

電気はまだ復旧していません。

電気が復旧しないと

コンビ二も復旧しない。

一店集中とまたなりました。

 

そして

入荷したものは

たちまち売れていきます。

午後には再び、

店の商品棚は空になりました。

 

と言うより、商品棚に並べる前の

段ボールやプラスチックの箱から

直接手に取って買っていきました。

電気が復活

そして、

念願の電気が復旧しました。

これでライフライン全てが復旧。

 

一番最初にやったこと。

それは風呂に入ること。

当時住んでいた部屋は電気がないと

ガスに着火出来ない仕組みのため、

ガスだけ復旧しても

風呂に入れませんでした。

 

この日の風呂は、

朝風呂だったこともあって

気持ちよかったです。

 

ようやく日常を取り戻した気になりました。

しかし、その気持ちは

風呂上りに見たテレビ放送で

打ち砕かれました。

 

テレビではどのチャンネルでも

震災のニュースばかり。

 

そしてコマーシャルは

ACジャパンばかり。

 

こんな時、

テレビ東京なら・・・記憶がない。

というよりも、

震災関連のニュースや

映像の方が気になります。

 

繰り返し流れる津波の映像、

そして避難している人、

家族、自宅、仕事を失った

多くの人を見たとき、

大変なのはこれからだと感じました。

 

その気持ちを更に強くしたのが

福島の原発の事故。

あの映像を見た時、

 

日本は大丈夫か?

 

そういう気持ちになり、

日常を取り戻したという気持ちは

無くなりました。

 

そして原発事故により

避難を余儀なくされた人たちを見て、

もし隣町の東海村の原発が稼働していたら

俺もどこかに避難させられていたかもと思いました。

 

そうしているうちに

出社が再開される日が来ました。

まずは社内の掃除から始まり、

お互いどう過ごしていたのかを

話をしながら業務再開となりましたが、

原発事故や今後の会社の成り行きといったことが

気になり、業務をこなすことは無かったです。

 

震災前とは状況が大きく変わりました。

原発事故により業務の方向変換が余儀なくされ、

私も社内で失業状態になり神奈川へ転勤になりました。

追伸

あれから9年。

復興はまだまだ遠い。

と言うよりも

何をもって復興したと言うのだろうか?

 

多分、その答えは無いと思います。

あったとしても人それぞれです。

 

そして何の因果か、

今私は福島第一原発の

復興に関する仕事をしています。

それも、爆発を起こした建屋から

核燃料を取り出すというプレジェクトの一端を。

 

そして燃料取り出しは、

開始が遅れに遅れて

つい最近、始まったばかりです。

 

これから、数年かけて取り出し、

その後には廃炉という工程が待っています。

 

今、韓国が嫌がらせのように

何かとほざいていますが、

福島は安全な地域になっています。

このことを、

心に留め置いてもらいたいです。

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