東日本大震災の記憶 第3話 in 日立市大みか

震災翌日

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こんにちは、Motegiです。

東日本大震災の記憶の第3話です。

早い時間に寝たせいか、

翌日は早い時間に目が覚めました。

快晴でした。

 

カーテン越しに

日の光が部屋を照らしています。

状況確認のため外に出ました。

 

昨日の通行止めは解除されていて

海岸通りに繋がる坂道を下って

色々 と見て回りました。

 

昨日、見た家屋はというと、

2階部分は無事でしたが、

1階部分は、柱しか残ってませんでした。

何故か、その家の写真は撮ってなかったみたいです。

 

でも、こんな感じの家が多くありました。

 

十数メートル先にある堤防近くの家は

屋根と土台が反対になってました。

(要するに転がっている状態)

 

他にも壁が破壊されたアパート、

海の中に浮かぶ車、

そして残骸と言いますかゴミ。

 

後にテレビの映像で見た光景が、

目の前にありました。

あらためて、

とんでもないことが起きたと

感じました。

分からなくもないが・・

一通り見たところで、

昨日ビールを買った近所のスーパーに

顔を出しました。

 

店は閉じてましたが、

馴染みなので中に入れてくれて、

更に食料を入手することができました。

 

お店の人と色々と話をしたところで、

開店の時間になり、店を開けることに。

 

昨日、

会社からの帰り道にあるコンビニは

軒並み店を閉じていました。

 

中を覗いたら商品が散乱してました。

しかし、

強奪のような形で荒らされてはいません。

 

こういった無人の店が無事でいることが

諸外国からすると不思議に見えるようですが、

私はここに日本人の民度の高さを感じます。

 

コンビニなど

普段なら開いているお店が閉店している場合、

どこで聞きつけたのか分かりませんが

開店している店に多くの人が殺到します。

 

近所のスーパーも

そういう状態になりました。

店内は、これまで見たことが無いというほど

人で溢れかえりました。

この写真は一段落した後のものです。

最初に売れていくもの、

それは水などの飲料と保存の効く食品。

そして乾電池、ローソク。

飲料は飲料でもビールなどの酒類は

あまり売れませんでした。

その分、私が買いましたが・・・。

 

トイレが近くなるからなのか、

それともこんな時に・・・”と思うのか?

 

無人の店が襲撃はされない一方、

開店している店の中では、

人間性が出てくることも、

ここで見ることが出来ました。

 

バーゲンの目玉商品に

殺到する光景に似ています。

 

買占めを防ぎ、公平にと思い、

店側は1人2個までと言っても、

何個も籠に入れる奴。

そして注意すると逆切れする。

「うちは4人家族だから

4人分でもいいでしょ。」

と言う。

勝手な理屈をほざいて

8個籠に入れます。

 

数の制限がない菓子類を

入りきらなくなるまで籠にいれる親子。

 

この親子なんかは、

少し絶食して体を絞ったほうが

良 いんじゃない。

と思うほど親子で肥えている。

 

店に入るなり、目当てのものが無いと

「何もねえじゃねえか」

と大声で叫ぶ奴。

 

そして

「わざわざ来てやったのに」

と追い打ちをかけて口にする。

 

文句があるなら帰れ!!

と言いたいところだったが、

そんなことにかまっていられるほど

私は暇ではありませんでした。

 

家にいてもやることがないので、

お店を手伝っていました。

 

何せ電気が止まっているので

レジが使えません。

全て電卓で手打ち。

私は売り場から値段を叫んで

教えることをやった。

 

電気があってこその

社会であることを感じます。

 

その日は、

開店から徐々に人が増えていきましたが、

翌日からは開店前から人が並んでました。

 

あらかた店内のものは売り切れ、

残ったのはアイスクリームと生もの。

 

アイスクリームは溶けはじめてましたが、

それでも中には買っていく人もいました。

折角来たのに手ぶらで帰りたくない。

そんな気持ちなんだろうなと思います。

 

「生ものは捨てるしかないな・・・」

 

若店主が私に言った。

 

「エッ、ここはプロパンガスなんだから、

調理できるものは調理して売れば良んじゃない。」

 

「おう、なるほど。」

 

そう言って店の奥で調理を始めました。

直ぐに、揚げ物、煮物が店の中に並びます。

これもあっという間に売れていきます。

 

3日目には店内の物は全て無くなってました。

見事になくなっていました。

店を手伝ったということで私は、

家族用にと保管しておいたものの中から

食料だったりビールを分けてもらいました。

また、プロパンガスのため、

ガス釜でご飯が炊けます。

昼ごはんもごちそうになりました。

 

被災しているといった感覚が

なくなりそうなくらいでした。

 

そして、売るものがなくなり、

やることもなくなったのですが、

部屋にいても仕方がないので、

店にきて掃除をしたりしながら過ごしました。

締めの一言

3月11日に本震は終わりました。

しかし、余震が数日に渡って続きます。

なかでも、寝ようとしたときの地鳴り

別に日中でも地鳴りはあるのですが、

寝る時は特に感じます。

 

海の向こうから

「ゴーゴー、グングングーン」

言葉ではどういう表現が伝わるか難しいですが、

とにかく、

地鳴りが陸地に近づいて揺れに変化する。

これが余震とは思えないほどの揺れです。

一言で言うなら「恐怖」です。

 

何せ、

自分の努力では何ともしようがない地球の動き。

これが毎晩あります。

慣れるまでには、それなりの日数を要しました。

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