東日本大震災の記憶 第1話 in 日立市大みか

はじめに

3月11日の時の震災で

大事な人を亡くしたり、

住む場所を無くした人に比べれば、

私はまだ、全然ましな方です。

でも、私にとっては

これまでにない体験でしたので、

文章にしたいと思い、

この機会に書かせてもらいました。

振り返り

私は当時、茨城に住んでいました。

あれからもう9年経ちます。

当時をことを文章にするのは初めてです。

この9年の感じ方は人それぞれだと思います。

 

早いように感じる人は、

被災しなかった人を除いたら、

気持ちの整理がついた人だと思います。

 

一方、

環境も気持ちも進行中の人は

「まだ9年」

といった気持ちだったり

「9年経ったのに・・・」

ではないでしょうか?

 

復興と一言で言っても、

人それぞれに復興の定義があり、

終わることのない事なのかもしれません。

 

それでも前に進まないと

未来は開けてきません。

 

この時期になると、

メディアで津波の映像を

観ることがあります。

 

あらためて観ると

恐ろしいです。

 

映画ではない現実として、

町ごと洗濯機の中に入れられて

車や住宅が、まるで衣服のように

グルグル回されています。

 

もう1つ想像したのが、

お湯がたっぷりの湯舟に入ると

浴槽からお湯が溢れて浴室に

津波が起きます。

 

どこかの海に巨人が

「どっこいしょ!」

と海に入った結果、

津波にが起きたのか?

私にはそんな感じに見えました。

止まない揺れ

私の被災した場所は

茨城県日立市でした。

 

テレビで流れている映像ほどの

酷さではありませんでしたが、

そうは言っても、被害の大小ではなく

被った方は大変なことに変わりはないです。

その日の事を思い出してみます。

 

日立市に住んで約3年。

住み始めた時から、

地震の多い地域だと感じていました。

 

その日も地震の揺れが発生したのですが、

「あっ、また来た」

と思っていたところに、

「今回は長いな・・・」

 

そして段々揺れが大きくなり、

「おいおい何だこりゃあ」

と感じているうちに、電気が止まり、

建物が大きく揺れ、天井まである本棚から

多くの本や書類が降ってきました。

中には重さが1~2kgほどのものもあり、

形状も固い部分があり、

もし当たったら相当のケガを負います。

 

机の下に隠れようと思っても

揺れのせいで身体を制御できません。

 

ある女性社員は

「いや~~っ!」

という悲鳴を発して、

床にしゃがみ込んでました。

 

机からはパソコンのディスプレイが

次々と落ちていきます。

 

どれだけの時間、揺れていたのか?

とにかく早く治まってくれと思いながら

数分経って揺れがおさまりました。

 

揺れが収まったあと、社外に避難し、

そこで今日は解散(全員帰宅)になりました。

 

社屋に戻り、

更衣室に行く途中で見たのは

食器棚から落ちて割れたグラスや皿、

トイレのドアは開け放しで、

そこには割れた電球が散乱。

 

更衣室で着替え、靴を履き替え、

荷物を持って、再び社外に出て

帰宅の途に就きます。

※社屋に戻るって危険行為でした。

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